東海道・山陽本線
電車編
[旧国電]
京都駅に停車中の切妻タイプのクハ55。(左)
クハ79を先頭に。
特急"かもめ"がなくなる前でしょうか。
車窓から多数のカメラが見えてます。
クモニ83を先頭に。(左)中間車として使われているクモハ51(右)。
先頭のクハ55(?)は窓枠の不均一さから推測するとクロハ改造でしょうか。
3ドア車はどうも中間車が多いようですが(左)。
珍しく先頭に出ています。(右)。
73系といっても色々あります。
正面窓の大きさが3枚同じ。(左)
さらに前照灯が埋め込みのクモハ73(右)。
向かって右の窓の大きさが小さいと、なんとなくダメオヤジ的風貌のクモハ73(左)。
同じくクハ79(右)。
洗練された顔つきのクハ79。(左)
ノーシール・ノーヘッダーのクハ79(右)。
姫路以西の70系は、私が写真を撮り始めた頃でも走っていました。(左)
クモニ83(右)
向日町運転所へ部品の配給に来たのでしょう。
クモル24
後ろに写るは、気動車急行「越後・ゆのくに」でしょう。
[特急・急行]
特急「白鳥」は昭和47年に裏縦貫電化を機に気動車特急から485系に置き換えられました。
昼行特急の「なは」(左)、「みどり」(右)は481系でした。
昼行の特急と兼用目的で導入された583系。
寝台特急「霧島」昇格初日の京都駅(左)
京都が終着の寝台特急「明星」(右)
野洲電車区から、新大阪に回送途中の昼行特急「しおじ」(右)
大津−山科
向日町運転所にて。
月光型といわれた581系ですから、これが発祥です。でも、その横は181系でその横はなつかしい10系の寝台が写っています。(右)
向日町運転所に勢揃いした急行電車。
153系高窓「とも」(広島行)、165系「長門」(下関行)、153系低窓「鷲羽」(宇野行)
新快速導入前の「鷲羽」。
消えゆく急行よりも、新サービスに期待しているのでしょう。(左)
新快速色で運転されていました。((左))
何の列車かは、わかりません。153系低窓。(左)
153系高窓(右)
新快速導入直前でしょうか?見事な8M4T12連(左)
京阪間を29分でライバルに差をつけた新快速。(右)
京都を通過する471系は、
「玄海」(名古屋−博多)
「立山」(大阪−富山)
「ゆのくに」(大阪−金沢)
初代修学旅行専用電車は155系。
私の中学の前を走る「ひので」(左)
167系修学旅行専用電車。「友情」(右)
中学の修学旅行で、修学旅行電車に乗ったのは、我々の学年が最後でした。
[国電]
姫路駅に停車中の冷房改造前の113系です。(左)
白鷺号の直前に来た113系。ピント合わせの予行演習?(右)
1970年万博の時に走った、快速万博号は私のあこがれのスカ色でした。(左)
その後、そのまま新快速にも使われました。
山陰本線のC57を待っていたら、走ってきた103系(左)
第4コーナーにさしかかり先頭は"ヒャクサンホマレ"その内を通って"シゴナナクイーン"が追い込んで来たぁ?(右)